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沖永良部島ガイド

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歴史と文化

写真:世之主の墓 写真:西郷隆盛摘居の地跡

沖永良部島の歴史概略

島内の数箇所から縄文末期から弥生時代のものと思われる遺跡が発見されており、沖永良部島では、古代から人の営みがあった事が確認されています。

鎌倉時代後期(1266年)から琉球国に帰属。西暦1400年頃には、琉球国北山王の二男真松千代が始めての島主(世の主)として島を統治したと伝えられています。世の主の墓や世の主神社は、今も島の史跡として大切に祭られています。

1609年薩摩の琉球支配に伴い、沖永良部は薩摩藩の直属領となりました。薩摩の支配後も、琉球文化は人々の間に受け継がれ、現在もその影響は色濃く残されています。

幕末、島津久光公の怒りに触れた西郷隆盛翁が流刑となり、沖永良部島で1年7ケ月を過ごしたことでも知られており、「敬天愛人」の思想は、この間に確立されたと言われます。西郷隆盛を祀った南洲神社が建立されており、今も西郷南洲の思想は人々の間に大切に伝えられています。

1908年(明治41年)4月、島しょ町村制が実施され、沖永良部島は和泊村と知名村に区分、後に和泊町、知名町となります。

その後第2次世界大戦が勃発し、1945年敗戦によリ1946年1月28日祖国から分離され、1953年(昭和28年)12月25日祖国復帰するまでの8年間、米軍政下にありました。

昭和28年12月25日ダレス声明により祖国復帰。翌年公布された奄美群島復興特別措置法の下、港や道路、農地が整備され、住みよい街づくりがすすめられ、現在に至っております。

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